この記事の要点
- 高齢者の乳がん治療とは:年齢の数字ではなく、健康状態・がんの性質・ご本人の意思の3つで決める治療方針です
- 乳がんの手術は体への負担が比較的小さく、全身状態がよければ80代・90代でも選択肢になります
- 手術がむずかしい場合には、内分泌治療(ホルモン治療)でがんを抑える道があります。「放置」とはまったく別のものです
- ご家族にできるいちばんのサポートは、ご本人抜きで決めないことです
乳がんの治療をするかどうか、どんな治療を選ぶかは、年齢の数字では決めません。80歳だから手術ができない、90歳だから治療をあきらめる──そのような決まりは医学的に存在しません。判断の軸は3つ、健康状態、がんの性質、そしてご本人の意思です。

この記事では、80代・90代の方の乳がんについて、「手術はできるのか」「手術をしない治療とは何か」「抗がん剤はどう考えるのか」を、乳腺外科医の立場から順番に解説します。高齢のご本人にも、治療方針を一緒に考えるご家族にも読んでいただける内容です。
高齢者の乳がんは珍しくない──まず知っておきたい前提
乳がんは「働き盛りの女性の病気」というイメージを持たれがちですが、実際には高齢になってから診断される方も多くいらっしゃいます。日本人女性の乳がんは40代後半から60代にかけて多く診断されますが、社会全体の高齢化にともない、80代・90代で診断される方は年々増えています。
高齢の方の乳がんには、比較的おだやかな性質のものが多いことが知られています。具体的には、ホルモン受容体陽性HER2陰性──女性ホルモンを栄養にして育つルミナルタイプ──の割合が、年齢が上がるにつれて高くなることが、大規模な研究で繰り返し示されています。米国の30万人規模の登録データの解析では、55歳以上では年齢が上がるほどホルモン受容体陽性で増殖の遅い腫瘍の割合が増えること、また進行の速いタイプ(トリプルネガティブ・HER2陽性)は高齢での診断が1〜3割少ないことが報告されています。
ただし、この「傾向」を「高齢なら安心」と読み替えることはできません。遺伝子発現に基づく解析では、70歳以上でも約2割の方は進行の速いタイプ(トリプルネガティブ・HER2陽性)と報告されています。
80代以上の乳がんは進行が遅いのか
「高齢であれば乳がんの進行は遅い」とよく言われますが、これは根拠のない都市伝説です。年齢だけで進行の速さは決まりません。進行の速さを決めるのは、がんのタイプ(サブタイプ)です。前述のように高齢の方にはおだやかなタイプが多い傾向はありますが、高齢でも進行の速いタイプの方はいらっしゃいます。「高齢だから急がなくてよい」と自己判断せず、まずご自身のがんのタイプを確認することが出発点です。
自分のがんのタイプを知るには乳がんのサブタイプとは?── 4つの分類と自分のタイプを知る意味→「手術できるか」は年齢では決まらない
外来でご家族からもっとも多くいただく質問が「この年齢で手術に耐えられますか」です。
お答えは、耐えられるかどうかは年齢ではなく、全身の状態で決まる、です。同じ85歳でも、元気に歩いて運動もされる方と、寝たきりに近い方とでは、手術に対する体の余力がまったく違います。私たちが手術の可否を判断するときに見ているのは、次のような点です。
- 心臓と肺の機能──全身麻酔に耐えられるかどうか
- 併存疾患──糖尿病・心疾患・腎機能などの状態とコントロール
- 日常生活の自立度──自分で歩けるか、身の回りのことができるか
- 認知機能──治療の内容を理解し、術後のケアや内服に取り組めるか
- 家族のサポート──手術後の見守りや内服の管理にご家族の積極的なサポートがあるか
最も重要な点は全身麻酔が可能かどうかです。乳がんの手術は、がんの手術の中では体への負担が比較的小さい部類であるため麻酔が可能であれば手術自体は乗り切ることがそれほど難しくありません。胃や大腸の手術と違ってお腹を開けることはなく、歩行や食事も手術の当日か翌日から普通に可能です。

私のこれまでの経験からも、90歳を超える方であっても各種検査で目立った全身の異常がなく、リスクをご本人・ご家族がしっかり把握された上で希望された場合は手術を行ってきました。
手術を受けると決めたら乳がんの手術──温存か全摘か、選び方と術後の実際を専門医が解説→「手術をしない」という治療──内分泌治療(ホルモン治療)という選択肢
高齢で乳がんと診断された患者さんのご家族は、おそらく2つの疑問をお持ちだと思います。ひとつは「手術しないで放っておいたらどうなるのか」。もうひとつは「手術以外の治療選択肢はないのか」。
この2つは、はっきり区別して理解する必要があります。「手術をしない」イコール「治療をせずに放置する」ことではないということです。
内分泌治療を主体とする治療とは
ホルモン受容体陽性の乳がんで、かつ全身麻酔のリスクが高い場合には、手術をせず、内分泌治療の飲み薬でがんを抑えていく方針が一つの選択肢になります。海外でも高齢の患者さんに対して確立された考え方で、専門的には primary endocrine therapy(初期治療としての内分泌療法)と呼ばれます。
この方針が検討されるのは、おおむね次のような場合です。
- がんがホルモン受容体陽性かつHER2陰性である(=内分泌治療が効くタイプ)
- 心臓や肺などの併存疾患などにより全身麻酔のリスクが高い
- ご本人やご家族が手術を強く望まない
大切なのは、これが「病気を放置する」ことではないことです。内分泌治療はがんを縮小させ、そのまま年単位で長期間おさえこむ力のある治療です。
私がこの治療をお勧めするのは、80代後半から90代で、普段あまり活動的ではない方。医学的に全身麻酔が難しい方。ホームなどに入居していて、ご親族のサポートが難しい方などです。一方でこれに当てはまらない元気な方はたとえ90歳を超えていても手術を検討するようお話しています。
「病気の放置」とは何が違うのか

治療をまったく受けない場合、そのままがんは大きくなり、皮膚にかみついて乳房から出血や膿みがでたり、肺や肝臓に転移したりする可能性があります。内分泌治療は、定期的に診察と検査を受けながら、薬でがんをコントロールし続けるという積極的な医療です。「手術をしない」という言葉だけを聞いて「何もしないのと同じ」と誤解しないでください。
内分泌治療をくわしく知るなら術後内分泌治療(ホルモン治療)ってどんな治療?→
治療に使う飲み薬のことアロマターゼ阻害薬と乳がん治療──副作用への向き合い方と飲み続けるための工夫→高齢者の抗がん剤──75歳が一つの目安
抗がん剤(化学療法)が使用可能かどうかは年齢だけで一律に決まるものではありませんが、私は健康状態に支障がない方でも、75歳を一つの目安と考えています。本来なら術前・術後に抗がん剤が必要となるトリプルネガティブやHER2陽性のタイプでも、75歳を超える方には適応を慎重に判断し、ほとんどの場合は投与しない選択をとります。では、その場合にどう治療するのか──タイプ別にご説明します。

トリプルネガティブ乳がんには内分泌治療が効かないため、手術が唯一の治療の選択肢となります。そのため、多少のリスクがあっても麻酔科医と慎重に協議のうえ、手術を行うことがほとんどです。抗がん剤による補助療法を省くので、若い方と比べれば不完全な治療に留まりますが、手術だけで根治する可能性も十分にあり、がんの増大による出血などの症状を避けることもできます。
HER2陽性乳がんもやはり増殖が速いため、できる限り手術を行います。術後は、通常併用するタキサン系の細胞傷害性抗がん剤は行わず、副作用の少ない抗HER2薬(ハーセプチンなど)のみを投与する場合があります。ただし、抗HER2薬は心臓に負担をかけることがあるため、循環器内科の医師に見守っていただきながら慎重に使います。ホルモン受容体が陽性であれば、内分泌治療薬を併用します。
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高齢の方の乳がん治療では、ご家族の関わりが若い方の場合より大きくなります。その際にいちばん大切にしていただきたい原則をお伝えします。
ご本人抜きで決めないでください。
ご家族だけで来院されて「本人には内緒で方針を決めたい」というご相談を受けることがあります。お気持ちは理解できますが、治療を受けるのはご本人です。高齢であっても、ご本人には治療について知り、選ぶ力があります。
具体的には、次のような関わり方をおすすめします。
- 診察に同席する──説明を一緒に聞き、あとでご本人と一緒に整理する
- ご本人の言葉を引き出す──「どうしたい?」を家族の希望より先に聞く
- 生活を支える情報を医師に伝える──独居かどうか、通院の足、飲んでいる薬。治療計画に直結します
- 迷ったらセカンドオピニオンを──高齢者の治療方針は施設や医師によって考え方に幅があります。別の専門医の意見を聞くことは失礼ではありません
よくある質問
Q. 90歳でも乳がんの手術はできますか?
A. 年齢だけを理由に手術ができないということはありません。心臓や肺の機能、併存疾患、日常生活の自立度といった全身状態が判断の軸です。乳がんの手術は体への負担が比較的小さく、90代で手術を受ける方もいらっしゃいます。
Q. 高齢者の乳がんは進行が遅いというのは本当ですか?
A. 年齢だけでは決まりません。高齢の方にはホルモン受容体陽性という比較的おだやかなタイプが多い傾向がありますが、高齢でも進行の速いタイプの方はいらっしゃいます。ご自身のがんのタイプ(サブタイプ)を確認することが最初の一歩です。
Q. 手術をしない場合、どのような治療になりますか?
A. がんがホルモン受容体陽性かつHER2陰性で、全身麻酔のリスクが高い場合には、内分泌治療(ホルモン治療)の飲み薬を主体にがんを抑えていく治療が選択肢になります。定期的な診察と検査を続けながら薬でがんをコントロールする積極的な治療であり、「何もしない」こととはまったく違います。
Q. 家族はどこまで治療方針に関わってよいですか?
A. 診察への同席、生活状況の情報提供、ご本人の気持ちの整理の手伝い──いずれも治療の助けになります。ただし最終的に治療を選ぶのはご本人です。ご本人抜きで方針を決めることは避けてください。
まとめ
- 高齢者の乳がん治療は、年齢の数字ではなく、健康状態・がんの性質・ご本人の意思で決めます
- 乳がんの手術は負担が比較的小さく、80代・90代でも選択肢になります
- 手術がむずかしい場合も、内分泌治療(ホルモン治療)主体の治療という道があります。放置とは別物です
- 抗がん剤は「最後まで続けられるか」の見立てが大切。やらないことが手抜きとは限りません
- ご家族は、ご本人抜きで決めないことを原則に、診察への同席から始めてください
高齢のご本人にとってもご家族にとっても、納得のいく選択のためには、疑問を遠慮なく主治医にぶつけることがいちばんの近道です。この記事がその話し合いの土台になれば幸いです。
- 日本乳癌学会『患者さんのための乳がん診療ガイドライン2023年版』 jbcs.xsrv.jp
- 国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん 治療」 ganjoho.jp
- Biganzoli L, et al. Updated recommendations regarding the management of older patients with breast cancer (EUSOMA/SIOG). Lancet Oncol. 2021 pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
※ 本記事は上記の公的機関・学会等の情報をもとに、慶應義塾大学医学部 乳腺外科 林田哲 教授が監修しています。最終確認:2026-08-18













