HER2陽性転移性乳がんの「維持療法」という新しい作戦 ── 新しい抗HER2薬ツカチニブの期待される使い方

乳がん診療ニュース

治療が効いている間に、次の一手を考える

HER2陽性の転移性乳がんには、とてもよく効く治療法があります。タキサン系の抗がん剤に、トラスツズマブとペルツズマブ(パージェタ)という2つの分子標的薬を組み合わせる方法です。多くの患者さんに効果がありますが、何回かの投与でがんの進行がおさまって安定したあとも、しばらくすると再びがんが勢いを取り戻すことがあるのです。

たとえるなら、火事を消し止めたあとの状態に似ています。大きな炎は消えました。でも、壁の裏側でまだくすぶっている火種があるかもしれません。その火種が再び燃え上がる前に、何か手を打てないか。これが「維持療法」という考え方です。

今回ご紹介するHER2CLIMB-05試験は、新しい抗HER2薬ツカイザ®(一般名:ツカチニブ)を用いた維持療法の有効性を検証した大規模な国際共同研究です。

HER2CLIMB-05試験とはどんな研究か

この試験は、第III相ランダム化二重盲検試験という、最も信頼度の高い研究方法のひとつで行われました。

参加した患者さんは合計654名です。対象となったのは、タキサン系抗がん剤とトラスツズマブ+ペルツズマブによる導入療法を4〜8サイクル受け、病気が進行しなかったHER2陽性転移性乳がんの方です。つまり、「導入療法がうまくいった方」が参加した試験です。

この654名を2つのグループに分けました。

ツカチニブ群(326名): 導入療法後に、ツカイザ®(一般名:ツカチニブ。HER2を標的とする経口の分子標的薬)+トラスツズマブ+ペルツズマブで維持
プラセボ群(328名): 導入療法後に、プラセボ(見た目が同じ偽薬)+トラスツズマブ+ペルツズマブで維持

患者さんも担当医師も、どちらのグループかを知らない仕組みのため、結果の公平性が保たれています。

主な結果 ── 病気の進行を8.6ヶ月遅らせた

追跡期間の中央値は約23ヶ月(約2年間)でした。

ツカチニブを追加したグループでは、病気が進行するまでの期間(無増悪生存期間: PFS)が2年を超えました。プラセボのグループと比べて、その差は8.6ヶ月と報告されています。

ホルモン受容体の状態で効果に違いはあるか

乳がんには「ホルモン受容体」というものがあります。がん細胞の表面にあるセンサーのようなもので、このセンサーがあるかないかで、「HR陽性」と「HR陰性」に分かれます。

HR陰性の患者さん: がんが進行するリスクが44.6%低下し、PFSの差は12.3ヶ月(約1年)に達したと報告されています
HR陽性の患者さん: リスクの低下は27.5%で、PFSの差は6.9ヶ月(約7ヶ月の上乗せ)でした

どちらのタイプの患者さんでも効果が確認されたことは、心強い結果と言えます。

脳転移がある患者さんにも効果が期待される

HER2陽性乳がんでは、脳に転移が見つかることがあります。脳転移の治療が難しい理由のひとつに「血液脳関門」があります。これは脳を守るためのバリアで、血液中の有害な物質が脳に入らないようにしていますが、多くの抗がん剤もこのバリアを通過できません。

ツカチニブは分子のサイズが小さい「小分子薬」であるため、この血液脳関門を通り抜けることができます。HER2CLIMB-05試験でも、脳転移があるサブグループで有効性が確認されたと報告されています。脳転移に悩む患者さんにとって、注目すべきデータです。

副作用は日常生活にどの程度影響するか

どんなに効果のある薬でも、副作用がつらすぎては続けられません。維持療法は長期間にわたるため、生活の質を保てるかが非常に大切です。

ツカチニブの主な副作用は、下痢、悪心(吐き気)、肝機能検査値の上昇の3つです。ただし、そのほとんどが軽度から中等度でした。日常生活が送れなくなるほどの重い副作用は多くなかったと報告されています。

もちろん、副作用の出方には個人差があります。主治医と相談しながら、量を調整したり対処法を工夫したりすることが可能です。長く続ける維持療法だからこそ、無理のないペースで治療を進めることが重要です。

日本の患者さんにとっての意味

ツカチニブは日本ではツカイザ®という名前で承認されています。ただし現時点では、主に二次治療以降(一次治療後にがんが進行した場合)で使われることが多い薬です。

HER2CLIMB-05試験が示したのは、もっと早い段階——つまり、タキサン系+トラスツズマブ+ペルツズマブの導入療法を4〜8サイクル行ってがんを抑えたあと、すぐに維持療法としてツカチニブを追加する戦略です。現在の日本の標準治療では、導入療法後の維持療法にツカチニブを使う方法はまだ一般的ではありません。しかし今後、このデータをもとに治療の選択肢が広がる可能性があります。

「維持療法」という概念は、日本の乳がん治療に新しい視点を加えるものです。これまでは「がんが進行してから次の治療へ」という流れが一般的でした。それが「効いている間に先手を打つ」という考え方に変わっていくかもしれません。

今後の展望

HER2CLIMB-05試験の結果は、2025年のSABCS(サンアントニオ乳がんシンポジウム)で発表され、論文もJCO(Journal of Clinical Oncology)に掲載されています。

現時点でまだ明らかになっていないのが、全生存期間(OS)のデータです。PFSの改善は確認されましたが、生存期間にどのような影響があるかは、さらなる追跡が必要です。今後のデータ更新が待たれます。

まとめ

HER2CLIMB-05試験は、タキサン系+トラスツズマブ+ペルツズマブの導入療法(4〜8サイクル)でがんが安定したHER2陽性転移性乳がんの患者さんに対し、「維持療法」としてツカチニブを追加することで病気の進行を遅らせる可能性を示した大規模な第III相試験です。HR陽性・HR陰性のどちらのタイプでも効果が確認され、脳転移のある患者さんにも有効性が報告されています。

この研究はまだ新しく、日本の標準治療に反映されるまでには時間がかかる場合があります。ご自身の治療に維持療法の選択肢があるかどうかは、主治医にご相談ください。

参考文献:
– Hamilton E, et al. HER2CLIMB-05: A Phase III Study of Tucatinib Versus Placebo in Combination With Trastuzumab and Pertuzumab as First-Line Maintenance Therapy for HER2+ Metastatic Breast Cancer. Journal of Clinical Oncology. 2026.
– SABCS 2025(サンアントニオ乳がんシンポジウム)発表データ

※ 本記事は情報提供を目的としており、医療行為の代替となるものではありません。症状がある場合は必ず医療機関を受診してください。
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