乳がんサブタイプ別の最新治療 〜 初期治療編
前回は化学療法の治療スケジュールについてお伝えしました。術前治療を受けながら、患者さんたちは様々な変化を経験することになります。腫瘍がどのように反応し、それが手術方法にどう影響するのか。また、治療後の評価基準となる「病理学的完全奏効」という重要な考え方についても、詳しく見ていく必要があります。
免疫チェックポイント阻害薬の登場
トリプルネガティブ乳がんの治療において、近年最も大きなインパクトを与えた進歩が免疫チェックポイント阻害薬がん細胞が免疫細胞の攻撃から逃げるために出しているブレーキを解除する薬です。体本来の免疫力を取り戻して、がんと戦うように促します。の導入です。なかでもキイトルーダ(ペムブロリズマブ)は、KEYNOTE-522試験免疫チェックポイント阻害薬と化学療法を組み合わせた治療の効果を調べた大規模な臨床研究です。この結果が現在の標準治療の根拠になっています。の結果をもとに周術期治療手術の前後を含めた一連の治療期間における治療のことです。手術前の治療、手術後の治療の両方を指します。としての有効性が証明され、世界的に標準治療の一部として位置づけられるようになりました。
免疫チェックポイント阻害薬がどのように働くかを簡単に説明しましょう。私たちの体には免疫細胞(とくにT細胞体の中でがん細胞やウイルスに感染した細胞を見つけて攻撃する、免疫を担当する白血球の一種です。)ががん細胞を見つけて攻撃する仕組みが備わっていますが、がん細胞は自分の表面にPD-L1がん細胞の表面に出ているタンパク質で、T細胞の攻撃にブレーキをかけるための信号を出します。というタンパク質を出すことで、T細胞の攻撃にブレーキをかけてしまいます。T細胞の側にはPD-1T細胞の表面にある受け取り口で、がん細胞からの「攻撃をやめなさい」というシグナルを受け取ります。という受容体があり、PD-L1とPD-1が結びつくと、T細胞は「攻撃するのをやめよう」というシグナルを受け取ってしまいます。キイトルーダはこのPD-1に結合して、PD-L1との結びつきをブロックする薬です。つまり、がん細胞が免疫にかけているブレーキを解除することで、体本来の免疫力を取り戻してがんを攻撃させるという仕組みです。

トリプルネガティブ乳がんは、他のサブタイプに比べて遺伝子変異の数が多く(腫瘍変異負荷がん細胞が持っている遺伝子の傷(変異)の数のことです。この数が多いほど、免疫細胞ががん細胞を異物として認識しやすくなります。が高いと表現されます)、免疫細胞ががん細胞を「異物」として認識しやすい性質があります。これが、免疫チェックポイント阻害薬がトリプルネガティブ乳がんに対して効果を示しやすい背景の一つと考えられています。
実際の治療では、キイトルーダは化学療法と同時に3週間ごとに点滴投与され、手術前の段階で化学療法のすべてのサイクルを通じて併用されます。さらに手術後にも一定期間キイトルーダ単剤での投与が継続されるのが標準的な投与方法です。
手術前治療による腫瘍の変化と手術方法の選択
術前化学療法手術の前に行う抗がん剤による治療です。腫瘍を小さくして手術しやすくしたり、すでに広がっているかもしれない小さながん細胞を叩いたりします。を進めていく中で、定期的に超音波検査や場合によってはMRI検査強力な磁石と電波を使って、体の内部を詳しく撮影する検査です。超音波よりも細かい情報が得られます。で腫瘍の大きさを確認します。多くの患者さんでは治療開始から数週間で腫瘍が柔らかくなり、縮小し始めるのを実感できます。
※ 化学療法による脱毛への対策については「第一回 脱毛に関わる知識と準備」をご覧ください。
治療の効果が十分に得られた場合、乳房温存手術乳房全体を取り除かずに、がんがあった部分とその周囲の組織だけを切除して、乳房をできるだけ残す手術です。により、乳房をきれいに残すことができる可能性が広がります。乳房温存手術では腫瘍があった部分とその周囲の正常乳腺組織を切除し、残った乳房に対して術後放射線治療を行います。一方、もともと腫瘍が非常に大きかった場合や、多発病変がんが乳房内の複数の場所に存在している状態です。1か所だけでなく、いくつもの場所に腫瘍ができています。がある場合には、抗がん剤によって縮小しても、乳房の温存が難しいことがあり、乳房全摘術乳房全体を取り除く手術です。腫瘍が大きい場合や複数の場所にある場合に選択されることがあります。が選択されることがあります。全摘の場合でも、再建手術乳房を全摘出した後、形成外科的な方法で乳房の形を作り直す手術です。外見の変化を最小限に抑えることができます。(乳房を形成外科的に再建する手術を行う)という選択肢があり、外見上の変化を最小限に抑えることが可能です。

腫瘍が薬物治療でどのように縮小したかは、画像検査だけでは完全にはわかりません。画像上は消えたように見えても、顕微鏡レベルでわずかながん細胞が残っていることもありますし、逆に画像では残存があるように見えても実際には瘢痕組織治療によってがん細胞が死んだ後に残る傷跡のような組織です。がん細胞ではありませんが、画像検査には映ることがあります。だけでがん細胞はなくなっていることもあります。だからこそ、手術で組織を摘出して病理学的に評価することが不可欠なのです。
病理学的完全奏効(pCR)が意味すること
術前化学療法を行った後に、手術で摘出した乳房やリンパ節の組織を病理医手術で取り出した組織を顕微鏡で観察し、がんがあるかどうか、どのような性質かを詳しく調べる医師です。が顕微鏡で隅々まで調べ、がん細胞が一つも見つからなかった状態を「病理学的完全奏効(pathological Complete Response、pCR)」と定義します。
トリプルネガティブ乳がんにおけるpCRの意義は非常に大きく、pCRが得られた患者さんは、そうでない患者さんに比べて長期的な生存率が明らかに良好であることが複数の臨床研究で示されています。端的にいえば、pCRは「この治療がこの患者さんのがんに非常によく効いた」という最も確かな証拠であり、その後の再発リスクが大幅に低減されることを意味するのです。
後に述べるKEYNOTE-522試験では、キイトルーダと化学療法を併用したグループのpCR率は約64.8パーセントであったのに対し、化学療法単独のグループでは約51.2パーセントでした。つまり、免疫チェックポイント阻害薬を加えることで、pCRを達成できる患者さんの割合が約13ポイント上昇したことになります。この差は統計的にも臨床的にも意味のある差であり、免疫チェックポイント阻害薬の併用が新たな標準治療として広く受け入れられる根拠となりました。

一方で、pCRが得られなかった患者さんが全員予後不良というわけではありません。残存病変の量や種類によって予後は異なりますし、pCRが得られなかった場合に追加治療を行うことで予後を改善できることもわかっています。ですから、「pCRが得られなかったからもう希望がない」と考える必要はまったくなく、むしろ次のステップとして何ができるかを主治医と具体的に相談していくことが大切です。
手術後の補助化学療法
術前化学療法と手術を終えた後、pCRが得られた場合とそうでない場合とで、術後の治療戦略は異なってきます。
pCRが得られた場合には、多くの場合、追加の化学療法は行わず、キイトルーダ単剤の投与を9サイクル(27週間、すなわち約半年強)継続するのが標準的です。免疫チェックポイント阻害薬を術後も続けることで、体内に残っているかもしれない微小ながん細胞画像検査には映らないほど小さく、目に見えないサイズのがん細胞のことです。手術後も体に残っている可能性があります。を免疫の力で排除し続けることが期待されます。
一方、pCRが得られなかった場合、つまり手術標本にがん細胞が残存していた場合には、CREATE-X試験手術後にゼローダという抗がん剤を追加する治療の効果を調べた臨床研究です。残存病変のある患者さんの治療方針を決めるために重要な研究です。の結果に基づいて、ゼローダ(カペシタビン)という内服の抗がん剤を6~8サイクル追加することが強く推奨されています。ゼローダは経口薬であるため通院の負担が比較的少なく、毎日2回の内服を2週間続けて1週間休むというサイクルを繰り返します。CREATE-X試験では、残存病変のあるトリプルネガティブ乳がん患者さんにおいてゼローダの追加が無病生存率治療開始後から、がんが再発したり転移したりせずに過ごせた患者さんの割合のことです。と全生存率治療開始後から、患者さんが生存している割合のことです。治療の最終的な効果を判定するために重要な指標です。をともに有意に改善することが示されました。

さらにBRCA遺伝子変異乳がんのリスクを高める遺伝子の傷のことです。この変異がある患者さんでは、特定の薬が効きやすいことがわかっています。が判明している患者さんでは、リムパーザ(オラパリブ)というPARP阻害薬DNAの傷を修復する機能を持つタンパク質の働きを邪魔する薬です。BRCA遺伝子変異のあるがん細胞に特に効果があります。を術後1年間内服する選択肢も加わっています。OlympiA試験BRCA遺伝子変異のある高リスク乳がん患者さんに対して、リムパーザという薬が再発を防ぐ効果があるかを調べた臨床研究です。の結果から、BRCA変異陽性で残存病変を有する高リスクの乳がん患者さんにおいて、リムパーザが再発リスクを有意に低下させることが証明されています。ゼローダとリムパーザの両方を使うべきかどうか、あるいはどちらを優先するかについては、まだ確立されたエビデンスが十分とはいえない部分もあり、個々の患者さんの状況に応じて主治医と相談しながら決定していく領域です。

術後のキイトルーダ投与に関しては、pCRが得られた場合にもそうでない場合にも継続されることがKEYNOTE-522試験で規定されており、現時点ではpCRの有無にかかわらず術後のキイトルーダは継続するのが標準的な流れです。
ここまでで、治療の主要な過程についてお話ししてきました。しかし治療は手術で終わるわけではありません。次は、治療中に起こりうる副作用とその管理方法、そして治療経過の評価方法、さらには長期的なフォローアップの重要性についてお伝えしていきます。
📖 乳がんサブタイプ別の最新治療 〜 初期治療編(4/8)