エンハーツの適応拡大|HER2陽性乳がん術後補助療法にFDAが優先審査指定

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エンハーツのあらたな適応が拡大

HER2陽性乳がんの治療は、ここ20年で大きく変わりましたが、まだ十分とは言えない部分があります。それが「術前治療で腫瘍が消えきらなかった場合」の治療です。この領域に新しい選択肢が生まれようとしています。今回は、その中心にある「エンハーツ」という薬についてお話しします。

HER2陽性乳がんってどんなタイプ?

乳がんにはいくつかのタイプがあります。その分け方のひとつが「HER2陽性乳がん」というものです。HER2とは、細胞の表面にあるタンパク質の名前で、正常な細胞にも少しだけ存在しています。ところが、一部のがん細胞ではこれが大量に作られます。この状態を「HER2陽性乳がん細胞の表面にHER2というタンパク質が大量に作られている状態を指します。このタンパク質が増殖を促進するため、このタイプのがんは成長が速い傾向があります。」と呼びます。

HER2タンパク質は、細胞に「増えなさい」と命令を出します。例えるなら、車のアクセルのようなもので、HER2陽性のがん細胞は、アクセルが踏みっぱなしの状態であるため、がんの増殖スピードが速くなります。乳がん全体の約15~20%がこのタイプであることがわかっています。

現在の標準的な治療の流れ

HER2陽性乳がんでは、手術の前に薬物療法を行うことがほとんどです。これを「術前化学療法手術の前に行う薬物治療のことです。手術前にがんを小さくすることで、手術の成功率を高めたり、より効果的な治療につなげたりする目的で行われます。」といいます。目的は、手術前にがんを小さくすることです。使われる薬の代表が「トラスツズマブHER2タンパク質にくっついて、がん細胞の増殖を止める薬です。商品名は「ハーセプチン」で、HER2陽性乳がんの治療に広く使われています。」と「ペルツズマブトラスツズマブと同じくHER2タンパク質を標的とする薬です。商品名は「パージェタ」で、トラスツズマブと組み合わせて使うことで、より高い効果が期待できます。」です。商品名はそれぞれ「ハーセプチン」「パージェタ」で、現在はこの二つの合剤である「フェスゴ」が利用できます。

この2つの薬は、HER2タンパク質にくっつき、増殖の命令をブロックします。先ほどの車の例えでいえば、アクセルにカバーをかける感じです。この治療によって、完全に消えた状態を「pCR(病理学的完全奏効)治療後に顕微鏡で調べても、がん細胞がまったく残っていない状態を指します。手術前の治療がうまくいった場合の良い結果です。」と呼びます。

ただし、全員のがんが消えるわけではありません。約40~50%の方には、術前化学療法を行っても、がんが一部残ってしまいます。この残った状態を「残存病変(非pCR)術前治療後も、がん細胞が一部残っている状態を指します。このような場合は手術後に追加の治療が必要になることが多いです。」といいます。残存病変がある方は、再発のリスクがやや高くなりますので、手術後に追加の薬物療法が必要になります。これまでは「T-DM1(カドサイラ)HER2陽性乳がんの術後治療に使われてきた薬です。抗体とがん細胞を倒す薬が組み合わされた構造をしており、がん細胞を狙い撃ちします。」という薬が使われてきました。

「ミサイル療法」と呼ばれるADCの仕組み

ここで「ADC」という新しいタイプの薬を紹介します。ADCは「抗体がん細胞の表面にある目印を認識して、そこにくっつく役割を果たすタンパク質です。新しい薬の中には、この抗体の性質を利用してがん細胞をねらうものが多くあります。薬物複合体」の略称です。少し難しい名前ですが、仕組みはシンプルです。

ADCは3つの部品でできています。1つ目は「抗体」です。抗体は、がん細胞の表面にある目印を見つけて、くっつく役割です。2つ目は「抗がん剤がん細胞を倒すために使われる薬の総称です。がん細胞の増殖を止めたり、がん細胞を直接破壊したりすることで、治療効果を発揮します。」で、これはがん細胞を殺す強力な薬です。3つ目は、この2つをつなぐ「リンカー抗体と抗がん剤を結びつける接続部品のことです。この接続があることで、抗がん剤ががん細胞に確実に届けられます。」という接続部品です。

これをたとえるなら、宅配便のような仕組みと言えるかもしれません。抗体が「届け先の住所」を知っており、抗がん剤が「届けたい荷物」です。リンカーは荷物をしっかり固定する「梱包材」です。ADCは正確にがん細胞に届き、そこで荷造りを解いて抗がん剤を放出しますが、一方で正常な細胞には届きません。そのため「ミサイル療法」とも呼ばれています。先ほどのT-DM1も実はこのADCの一種です。

エンハーツはどこがすごいのか

エンハーツ(一般名:トラスツズマブ デルクステカン、略称T-DXd)は、日本の第一三共とイギリスのアストラゼネカが共同開発した、日本生まれの薬です。エンハーツもADCの一種ですが、従来のT-DM1とは大きな違いがあります。

まず、1つの抗体に結合できる抗がん剤の数が違います。T-DM1は抗体1つにつき約3~4個の薬を運びます。一方、エンハーツは約8個も運べます。宅配便でいえば、1回の配達で届けられる荷物の量が約2倍です。

さらに注目すべきは「バイスタンダー効果薬が直接くっついたがん細胞だけでなく、周囲のがん細胞にも効果が及ぶ現象です。これにより、HER2が少ないがん細胞にも薬が届く可能性があります。」です。エンハーツから放出された抗がん剤は、くっついたがん細胞だけでなく、周囲のがん細胞にも届きます。がん細胞の中にはHER2が少ないものも混ざっていますが、バイスタンダー効果があれば、そうした細胞にも薬が届く可能性があります。

DESTINY-Breast05試験とは

エンハーツの実力を確かめるために、大規模な臨床試験が行われました。「DESTINY-Breast05試験エンハーツの実力を確かめるために世界中で行われた大規模な臨床試験です。術前治療後に残存病変があったHER2陽性乳がん患者を対象に、エンハーツと従来薬を比較しました。」という名前です。この試験は世界中の複数の国が参加した第III相試験新しい薬の効果を最も厳密に調べる段階の臨床試験です。多くの患者さんを対象に、既存の薬との比較を行い、本当に効くかどうかを確認します。です。第III相試験とは、薬の効果を最も厳密に調べる段階です。

対象となったのは、術前化学療法後に残存病変があったHER2陽性早期乳がんの患者さんです。参加者を2つのグループに分け、一方にはエンハーツを、もう一方には従来のT-DM1を投与しました。そして、再発率やその後の経過を比較しました。その結果、予定中間解析において、エンハーツはT-DM1に比べて再発(正確には浸潤疾患のない生存期間)を有意かつ臨床的に意味のある形で改善しました。中央値追跡期間は約30か月で、浸潤再発または死亡リスクを53%低下したことが評価されました。すなわち、大幅に効果が改善されたという結果です。

この試験の結果をもとに、米国FDA(食品医薬品局)米国の医薬品の承認や監視を行う政府機関です。新しい薬がこの機関から承認されると、米国で使用できるようになります。は「優先審査」の指定を行いました。

FDA優先審査指定が意味すること

FDAの優先審査指定重い病気に対して既存の薬を上回る可能性がある場合、通常より早く薬を審査してもらう制度です。審査期間が約10~12か月から6~8か月に短縮されます。とは何でしょうか。通常、新しい薬の審査には約10~12か月かかります。しかし、重い病気に対して既存の薬を上回る可能性がある場合、審査が早まり、約6~8か月に短縮されるのです。

一方で、注意してほしい点は、これはあくまで米国の制度であるということです。日本での薬の承認は厚生労働省が別途審査しますので、米国で承認されたからといって、すぐ日本で使えるわけではありません。しかし、エンハーツは日本発の薬であり、転移性乳がん乳腺から始まったがんが、肺や骨、肝臓などの他の臓器に広がった状態を指します。より進行した段階のがんです。(がんが他の臓器に広がった状態)に対しては、日本でもすでに承認されています。早期乳がんへの適応拡大すでに承認されている薬を、新しい病気や患者さんの種類に対しても使えるようにすることです。転移性乳がんで承認されている薬を早期乳がんにも使えるようにするなどの場合に行われます。は、今後の審査次第となります。

HER2陽性乳がん治療の進歩を振り返って

かつてHER2陽性乳がんは、最も予後が悪いタイプのひとつでした。しかし1998年にトラスツズマブが登場し、状況は一変しました。さらにペルツズマブ、T-DM1と新薬が加わり、再発率は着実に下がっています。エンハーツは、その流れの中で生まれた次世代のADCです。

特に「術前療法で腫瘍が消えきらなかった方」にとって、治療の選択肢が増えることは大きな意味を持ちます。これまでT-DM1しかなかった状況に、新たな候補が加わろうとしているのです。

新しい情報との向き合い方

新しい薬の話を聞くと、期待が高まりますよね。一方で「自分にも使えるのか」という疑問も出てくるでしょう。大切なのは、臨床試験の結果がすべての方に当てはまるわけではないという点です。がんのステージ、残存病変の大きさ、体の状態は一人ひとり異なります。

DESTINY-Breast05試験の結果は今後さらに検証が進みます。長期的な安全性のデータも蓄積される段階です。治療方針を考えるときは、主治医と一緒に「自分の状況に合った選択」を確認してください。

まとめ

HER2陽性乳がんの術後治療において、エンハーツはバイスタンダー効果と高い薬物搭載能力を持つ次世代ADCとして有望な結果を示しています。FDA優先審査指定は、既存治療を上回る可能性を示唆するものです。日本での早期乳がんへの適応拡大については、今後の規制当局の判断を注視する必要があります。治療の選択肢が広がる時代だからこそ、正確な情報をもとに主治医と治療方針を確認することが、最善の結果につながると考えられます。

※ 本記事は情報提供を目的としており、医療行為の代替となるものではありません。症状がある場合は必ず医療機関を受診してください。
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